弁護士 河合弘之

さくら共同法律事務所

脱原発

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河合弘之が担当する脱原発関連の裁判・関連団体情報など

飯舘村民救済弁護団 共同代表

◆ ADR申立に至る経緯 原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団ブログより

 

飯舘村は平成22年9月に「日本で最も美しい村」連合に加盟した村民約6500名の村です。
しかし、翌年3月11日に東日本大震災が発生し、これに続く福島第一原発事故により、村は高濃度の放射能に汚染されました。

村のほとんどが30キロ圏外から離れていたため、初期の避難が遅れ、飯舘村村民の初期被ばく量は福島県で最も高い結果が出ています。

 

村は『帰宅困難』、『居住制限』、『避難準備』の3区域に分けられ、村民は各地で長期にわたる避難生活を強いられていますが、国は早ければ来年にも避難解除を推し進めようとしています。

たとえ避難解除されたとしても、村のコミュニティそのものが破壊されており、帰村は非現実的で「戻りたくても戻れない」というのが現実です。
震災から3年、これまで飯舘村民は国が助けてくれると信じてきました。

しかし現実は何もありません。また、加害企業である東京電力が決めた補償基準では生活が成り立たない、やっていけないことがはっきりしました。
先行してADR申し立てを行った長泥地区、蕨平地区、川俣町山木や地区でこれまでの金額を上回る補償を認めさせることができました。しかし、一方、浪江町では長期慰謝料の増額に対する和解案について、東京電力が初めて拒否を示しています。
いよいよ東京電力や国による補償を求める声を封じ込める動きが出始め、今まさに被害救済をめぐるせめぎ合いの時を迎えています。
今こそ最大の被害者である我々自身が原発被害を糾弾し、飯舘村民は起こっているのだという意思表示を行い、浪江町や飯舘村 蕨平地区の主張が正しく、加害企業東京電力の態度は決して許されないことを知らしめ、我々も完全賠償と生活再建を実現するため、自ら立ち上がることを決意しました。

 

「謝れ、償(まや)え、かえせふるさと飯舘村」をスローガンに、村民一致団結して闘う覚悟です。                                                                 団 長

◆ 原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団ブログが別ページで開きます

◆ 飯舘村民救済弁護団ニュース№1 2014年9月_0917のPDFをダウンロードできます

飯舘村村民救済弁護団

【飯舘村村民救済申立団長と弁護団】 左から長谷川健一団長、海渡弁護士、河合、保田弁護士、中川弁護士、大森弁護士

『東電株主代表訴訟』弁護団長

東電株主代表訴訟は、取締役の個人責任を徹底的に追及する訴訟です。一度事故を起こせば、故郷そのものを消し去ってしまうような原発事故の管理責任者が、通常の製造業などと同じレベルの管理者義務でいいはずがない。

「大学の先輩(勝俣恒久氏・2011年当時東京電力代表取締役会長)と裁判で向き合うのは、本当に心苦しいよ。でも、これほどの事故を起こした東電の責任者が責任追及されなくていいはずがないんだ」。

 

●以下は『AERA 2012年3月5日号』(朝日新聞出版社)より抜粋

“あくまで前向きな河合でも、反原発運動にはどこかむなしさがつきまとった。やってもやってもなかなか成果が上がらず、徒労感が募った。反原発活動を知った企業から仕事を断られることもある。原発の背景にある権利構造の強大さに絶望しかけ、裁判でも敗訴が続くという状況に、そろそろ引退しようかと弱気になっていたとき、3・11が起こった。福島に何度も足を運び、故郷を追われた住民の姿に胸が締め付けられた。

 

河合が「極めて資本主義的制度」という株主代表訴訟の被告には、東電のドンと言われる会長の勝俣恒久(71)も含まれる。勝俣は、河合が青春を捧げた東大卓球部の先輩だ。毎年のOB会で顔を合わせてきた。「反原発なんてやって」。勝俣にそう言われ、「いやあ、やっぱり反原発でしょ」と河合が言い返すと、周りから「(勝俣さんも)河合を説得できなきゃダメですな」と仲裁が入った。

 

5年ほど前には、「もう原発は止めてください。自然エネルギーをやりましょう。そうすれば、協力できるじゃないですか」と書いた年賀状を送ると、勝俣からは「原子力ルネッサンス」とひとこと書かれた返事がきた。とはいっても、体育会系の河合は先輩を相手に法廷でむき出しの闘いを挑むことには正直逡巡していた。しかし、責任を取ろうとしない東電の体質を見て、「ビジネスと原発問題と両方をやってきた僕じゃないとできない。僕が前に出るしかない」と腹をくくった。

 

原発という人生最大の難題との闘いは、生涯をかけたものになるだろう。決着がつくまで退場はありえない。そう、河合は覚悟を決めている。”

 

『AERA 2012年3月5日号』は品切れ・再販未定となっています。

『脱原発法制定全国ネットワーク』代表世話人

脱原発法制定全国ネットワーク『脱原発法制定全国ネットワーク』は、日本の全原発を廃炉にして、脱原発を実現するには脱原発法の制定が不可欠と考えています。

 

「今こそ最大の正念場です。未来の代理人として、脱原発に死力を尽くす。3月11日は国民的価値観の転換点になった。原発推進に批判的・消極的な意見が増え、流れは明らかに変わっています。今が正念場。日本を放射能のない安心な国にする最大で最後のチャンスなのです。ビジネス弁護士としてこれまでどおりの仕事をしながら、原発を全基廃炉に追い込む―それを僕の集大成にするべく、これからは持てる力をすべて集中させていきます」(河合弘之)。

『浜岡原発差止訴訟弁護団』団長

浜岡原発は世界で一番危険な原発で、重大事故がおこれば首都圏が壊滅します。

 

【浜岡原発止めよう裁判の会】

http://www.geocities.jp/ear_tn/

上記HP内に河合弘之挨拶の文字起こしがあります。ご一読ください。
(2002年2月23日 静岡産経会にて)

 

Lawyer's MAGAZINE 2011.9.1 Vol.23以下は『Lawyer’s MAGAZINE 2011.9.1 Vol.23』(C&Rリーガル・エージェンシー社)より抜粋

 

“浜岡原発の運転差し止め訴訟は、02年から弁護団長として闘ってきました。浜岡から挑んだのは、ここが一番危ないと思ったからです。想定東海大地震は来るし、首都圏にはわずか180km、事故が起きたら日本は実質壊滅する。浜岡から一点突破、全面展開しようと考えたわけです。

ところが当時、立ち上がる原告団がいなかった。中部電力の城下町みたいなものですからね。僕は静岡のさまざまな集会に出て、「怖くないんですか。一番被害を受けるのはあなた方なんですよ」と、説得を続けました。すると「やってくれる弁護士はいないし、お金もない」。なら、弁護団は僕がつくる。全部手弁当でやるからと申し出たら、燎原の火のごとく原告団が立ち上がったのです。”

 

“それでも、ほかを含めてこれまで原発裁判は20連敗。我々は「ありもしないことを大げさに騒ぐオオカミ少年」だと言われ続けてきたのです。それが、不幸にして本当に重大事故が起きてしまった。今年5月、菅首相が浜岡原発の全機停止を断行したのは大英断だと思っていますが、こんな大事故ではなく、僕らの運動や裁判で事態を変えるべきだったとも思う。でも、3月11日は国民的価値観の転換点になった。原発に批判的、消極的な意見が増え、流れは明らかに変わっています。今が正念場。日本を放射能のない安心な国にする最後のチャンスなのです。”

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